壁大工
「壁大工」は明らかに上塗だけの担当者であって、中塗工程までとは別人であったことになるでしょう。
いずれにせよ、教言邸の壁工事では荒壁から上塗まで一貫して担当した職種は存在しなかったことになります。
なおつけ加えれぽ、相国寺(京都)鹿苑院歴代院主の日記である『鹿苑日録』によると、さらに時代が降った慶長五(1600)年4月、「倉」の築造で荒壁は手打(第三章第八節及び第五章第六節参照)によって付けられ、以下中塗・上塗が重ねられているが、「壁大工」はそのうちの上塗だけの担当老として招かれており、他の工程には関与していなかった。